※これは医療上の助言ではなく、私個人の体験記録です。薄毛の見え方や、どこに違和感を持つかは人によって異なります。
薄毛に気づいたあと、私は坊主にしました。
5ミリから始めて、4ミリ、3ミリと短くし、最後は1〜2ミリまで短くしました。
短くすれば、薄い部分と濃い部分の差は小さくなる。
坊主にすれば、髪型や風を気にせずに済む。
そう思っていたからです。
実際、1〜2ミリまで短くすると、密度の差はかなり分かりにくくなりました。
ただ、それで気持ちが落ち着いたかというと、そうではありませんでした。
薄さは目立ちにくくなった。
でも、今度は極端に短い坊主そのものが、私には自然に見えませんでした。
薄毛を隠そうとすれば、髪型に違和感が出る。
自然に見える長さまで伸ばせば、薄さが目立つ。
どちらへ動いても、何かが引っかかる。
この頃が、薄毛に気づいてから一番落ち着かなかった時期だったと思います。
毎日、同じことを考えていた
朝、鏡を見る。
外へ出る前に、もう一度確認する。
窓や鏡に自分の姿が映ると、頭へ目が行く。
写真を撮られれば、薄く見えていないか確認する。
1ミリにすれば気にならなくなると思っていたのに、頭のことを考える時間は減りませんでした。
むしろ、
「このままでいいのか」
「もう少し伸ばした方が自然ではないか」
「でも伸ばせば、また薄く見えるのではないか」
と、同じことを繰り返し考えていました。
はっきり困っていることがあるなら、対処を考えられます。
けれど、この頃の私は、自分が何をすれば納得できるのかさえ分かっていませんでした。
薄毛そのものが嫌なのか。
極端に短い坊主が嫌なのか。
人からどう見られることが嫌なのか。
自分が鏡を見たときに感じる違和感が嫌なのか。
それすら、うまく整理できていませんでした。
坊主という答えを選んだのに、答えにならなかった
坊主にする前は、
「短くしてしまえば、そこで終わる。」
と思っていました。
髪を伸ばして隠す必要もない。
セットが崩れる心配もない。
薄毛を受け入れて、坊主で暮らせばいい。
理屈としては、かなり分かりやすい答えでした。
ところが、実際にやってみると、その答えの中にも迷いがありました。
5ミリでは、密度の差が気になる。
1〜2ミリでは、薄さは馴染むけれど、髪型そのものが強く見える。
外出先の窓ガラスに映った頭は、青く、生々しく見えました。
私にはそれが、自然な坊主頭というより、
生々しい傷口のように感じられました。
坊主が似合う人もいます。
1ミリでも、本人が気にならなければ、それで十分だと思います。
でも、私には違いました。
薄毛を目立ちにくくすることはできても、その姿を自分が自然だと思えなかったのです。
帽子をかぶれば落ち着いた。でも、解決ではなかった
この頃、外へ出るときは帽子をかぶることが増えました。
夏は日差しが強い。
冬は頭が寒い。
坊主なら、帽子をかぶる理由はいくらでもあります。
でも、本当のところは、
1〜2ミリの頭を、そのまま見せることに抵抗があったのだと思います。
帽子をかぶっている間は、気持ちが少し楽になりました。
頭がどう見えているかを考えなくて済むからです。
ただ、帽子を脱がなければならない場所へ行くと、また気になりました。
薄毛を気にしないために坊主にしたのに、その坊主を隠すために帽子をかぶっている。
その状態にも、納得はできていませんでした。
帽子は、その場をやり過ごす方法にはなりました。
でも、先が見えたわけではありませんでした。
自分が見た目を気にしていることを、認めきれなかった
私はそれまで、
「ハゲたら仕方がない。」
「見た目より中身が大事だ。」
と思っていました。
坊主にすれば、そのまま受け入れられるつもりでもいました。
だから、坊主にしても落ち着かない自分に対して、
「なぜ、こんなに気にするのだろう。」
という気持ちもありました。
もっと堂々としていればいい。
誰も自分の頭など、それほど見ていない。
そう考えようとしました。
それも、間違いではないと思います。
実際、周囲の人は私が思うほど、私の頭を気にしていなかったでしょう。
それでも、自分が鏡を見たときの違和感は消えませんでした。
他人が気にするかどうかと、自分が気になるかどうかは別の話です。
この頃の私は、
自分は、見た目を気にしている。
という事実を、まだ素直には認めきれていなかったのだと思います。
気にしない自分になろうとしていました。
でも、気にしないように努力するほど、頭のことを考えていました。
薄い部分に、ボールペンで点を描いてみた
あるとき私は、薄く見える部分にボールペンで点を描いてみました。
今思えば、かなり奇妙なことをしています。
でも当時は、
「ここに少し色があれば、周囲と馴染むのではないか。」
と思ったのです。
鏡を見ながら、髪が薄い部分に細かく点を足しました。
近くで見れば、不自然です。
ただ、少し離れて見ると、思っていたよりも馴染んで見えました。
密度そのものが増えたわけではありません。
頭皮と髪の色の差が少し小さくなったことで、薄さが目立ちにくくなったのだと思います。
その瞬間、
「自分が欲しいのは、髪を大きく増やすことではないのかもしれない。」
と思いました。
薄い部分を完全になくしたいわけではない。
少しだけ差が小さくなればいい。
1〜2ミリまで短くしなくても、自然に見える程度に馴染めばいい。
初めて、自分が求めているものが少し見えた気がしました。
もちろん、ボールペンは汗をかけば落ちます。
毎日描くようなものでもありません。
現実的な方法ではありませんでした。
それでも、この試みには意味がありました。
私は見た目を気にしている。
そして、ほんの少し見え方が変わるだけでも、気持ちは変わる。
そのことを、はっきり認めるきっかけになりました。
頭皮のアートメイクを知った
その後、薄毛を目立ちにくくする方法を調べている中で、頭皮のアートメイクを知りました。
頭皮に細かな点を入れ、短い毛があるように見せる方法です。
写真を見ると、私がボールペンで試したことを、もっと自然に、落ちにくい形で行っているように見えました。
もちろん、最初からすぐ受けようと思ったわけではありません。
不自然にならないのか。
近くで見れば分かるのではないか。
費用はどれくらいかかるのか。
一度入れたら、後悔しても簡単には戻せないのではないか。
新しい不安も出てきました。
それでも、初めて、
次に調べるものが見つかった。
と感じました。
坊主で解決できなければ、もう打つ手がない。
それまでは、そんな気持ちでした。
でも、アートメイクという方法を知ったことで、
「もしかすると、今の違和感を少し小さくできるかもしれない。」
と思えるようになりました。
まだ何も解決していません。
それでも、何も見えなかった頃とは違いました。
一番つらかったのは、薄毛そのものより、先が見えなかったこと
振り返ると、この頃の私が落ち着かなかったのは、薄毛が急に大きく進んでいたからではありません。
強くからかわれたわけでもありません。
生活ができなくなったわけでもありません。
それでも、頭の中ではずっと同じことを考えていました。
それは、
見通しが立たない状態が、ただ続いていたから
だったのだと思います。
今の髪型で納得できない。
でも、次に何をすればいいのか分からない。
どこまでやれば落ち着くのかも分からない。
何かを選んでも、それで本当に良くなるのか分からない。
答えが分からないことよりも、
次にどこへ進めばよいか分からないことが、一番つらかったのだと思います。
見通しは、最後の答えが分かることではなかった
アートメイクを知った時点で、将来が決まったわけではありません。
アートメイクで本当に納得できるのか。
その後、AGA治療を始めることになるのか。
どこまで髪が変わるのか。
この先のことは、まだ何も分かっていませんでした。
それでも、少しだけ気持ちは落ち着きました。
次に調べるものがある。
試せる可能性がある。
合わなければ、またその時に考えればいい。
そのくらいの見通しが立ったからです。
見通しとは、最後の答えが分かることではありませんでした。
次にどこへ進むかが見えること。
私にとっては、それだけでも大きな違いでした。
このあと私は、頭皮のアートメイクについて具体的に調べ始めます。
坊主だけでは落ち着かなかった自分が、なぜアートメイクを現実的な選択肢として考えるようになったのか。
次の記事では、その理由を書きます。

